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キッチンカトラリーの故郷 燕・三条(つばめさんじょう)の歴史
どこの家庭にもあるキッチン。
そのキッチンに収納されている様々なキッチンツール、カトラリーの大半が、実は新潟県の燕・三条地域で製造されている事をご存じでしょうか?
現在、日本国内で製造・販売されている金属製のキッチンツールの約70%以上が、実はこの地域で製造されています。日頃、慣れ親しんで使っているキッチンカトラリーの故郷、燕・三条地域のもの造りの歴史を工業デザイナーの吉田 宗玄(よしだむねはる)さんに伺います。
掲載日: 2009/08/24(月)
工業デザイナー
吉田 宗玄さん
はじまりは農耕具から 金属加工技術の土台づくり
そもそも燕・三条地域の金属加工の始まりは、鎌倉~室町時代。クワの刃先などの農耕具製造から始まったと言われています。この金属製農耕具の製造・普及により、大規模な稲作、農耕地域となっていきましたが、水害やたび重なる不作によって、農民は厳しい生活を余儀なくされていました。 そんな状況を改善するために、江戸時代、代官の大谷清兵衛(おおたに せいべえ)が、江戸から和釘を造る鍛冶職人を呼び、農閑期の副業として和釘の製造を奨励しました。
数多くの大火災によって、燕・三条地域の和釘の需要は急速に高まり、江戸時代中頃には、この地域の殆どの農家が和釘の生産を行うようになりました。![]()
その後、鎌や包丁、のこぎり等の刃物類の製法が伝わるとともに、元禄年間には日本海沿いに間瀬銅山が開かれ、燕に精練所ができると、一枚の銅板を金槌でたたいて器状にする、『鎚起(ついき)』という技法によって銅器の生産も行われるようになり、本格的な金属加工産業地域としての土台が出来上がりました。
この鎚起のノウハウが後の金属プレス加工にも生かされています。
洋食器から ピッチャー、ケトルの製造へ 高度な技術の発展
明治時代に入り、新しい時代の荒波の中で、燕・三条の金属加工職人たちは、当時ブームだった西洋料理に使う洋食器のフォーク、ナイフ、スプーン等に着目しました。市場の需要から、手工業を動力機械へと発展させて大量生産に移行し、現代の「金属加工産業地域」の形となるとともに、燕・三条での洋食器の生産が拡大しました。
また、第2次世界大戦後は、フォークやスプーン等の洋食器製造から、ピッチャー、ケトル、レードル等の、金属プレス加工によって製造され、より高度な技術を必要とする業種に力が入れられていく様になり、少しずつ単価の高い、プレス加工生産に業態転換していくようになりました。 ![]()
常に『使う人にとって使いやすい製品を提供する』という考えの下、時代のニーズを上手く汲み取り、様々なモノづくりの経験と工夫を積み重ねてきた燕・三条地域の職人と新しい時代のエンジニアの知恵をベースに、新たな技術を駆使した良質のアイテムが次々と生まれています。
- 柳宗理 ステンレスボウル 23cm
- サラダなどそのまま食卓に出してもさまになるボール
価格: 2,625 円(税込)
柳宗理デザインの、機能性と美しさを兼ね備えたボウルです。
- 柳宗理 黒柄スープスプーン
- 飽きのこないシンプルなデザイン
価格: 2,415 円(税込)
柳宗理デザインの黒柄カトラリー。和食にもよく合います。
吉田 宗玄(よしだ むねはる) さん
1969年生まれ。大阪芸術大学デザイン学科卒業。
大手電器メーカー、大手キッチンメーカーで、製品の企画・開発・デザインを担当。燕三条の歴史と技術に感銘を受け、燕三条地域のクラフツマンと共に、工業デザイナーとしての新たなモノづくりに挑戦している。
現在、㈱ATRヤマト代表取締役。
(財)新潟県県央地域地場産業振興センター販路開拓アドバイザー/航空機産業参入研究会コーディネーターも務める。
(財)新潟県県央地域所地場産業振興センターHP
㈱ATRヤマトHP
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